ツイッターではもったいないと思ったので、ここに書いておく。
この思いを少しでも伝えられたのなら(とかって書いちゃうくらい影響を受けている)

『ブラックギャラクシー6』

まずは『ブラックギャラクシー6』を読んだ。
(結果的にどっちを先に読んだとしてもどっちも心に引っかかってくるので順番にさほど意味は無いと思いますが)。

阿部共実さんの漫画なので構えて読んだが、基本ギャグで面白い。
個性的なキャラたちの青春群像、と言うとありがちなものを想像しますが、さすがは阿部共実さん。そこは個性的と呼ぶには足りない、「超」が付くくらいの個性的なキャラ。
それくらい尖ってないと個性というのは弱いのかもしれない、といわれてるような。独特の台詞回しが強いというのもあるでしょうが。

しかし、基本ギャグとは書きましたが、「マイナスの個性」とかそういう部分は心にグサグサきた。
基本ギャグで笑えますが、「その空回りしている空気は笑えない」というのが結構あり(基本ギドラ)、笑えるけど笑えない。それがいい、それでいい。

話と話の間にある話が、たった1~2ページなのですが、的確に心を突いていく…という表現は優しすぎますが。
「誰も傷つけないように考えた結果、みんな傷つけた、こんなことってあるのか」→「…けっこうある」というのはまさにその通りというべきで耳が痛い。ちぎれる。
シロの漫画を見せる、というので「シロの意外は、枠にはまってる意外でしか無くて、意外じゃないんだよ」といったカレルナの突っ込みはまさにその通り。こういうのが好き。

最終話。最初の2人だけで終わる。第1話でのギドラの青春の願いが叶っている。日常的な感じでそれだけ。いい意味で青臭くて、生々しくて良い。国語が苦手なギドラ設定を最終話で使うとは…恐るべし…。

と、こんな感じで書いてはきましたが、ギドラが(基本的に)幸せそうでなにより。第1話でメンバー集めるという時の心のザワザワ感ったらもう。
21話のクラスメイトには見せない、見せていない部分をギドラ、カレルナ両方が見せているという再確認、とても良い。
間の漫画でですが、水族園も行けたようだし、楽しそうだし良かった良かった。



『ちーちゃんはちょっと足りない』

次に『ちーちゃんはちょっと足りない』を。
必ず「心えぐれる」と思って構えて読みましたが、はい、もうその通りで。

ちーちゃんが主人公(足りない)かと思いきや、全てがそうではなく。
「ちょっとくらい足りなくたって生きていける」と言って、それを受け入れて変わっていく、変えられる人達がいる。
でも「足りないのは嫌だ、変わりたいけど変わりたくない、変わるのが怖い」と言って、変えられない人もいる。そんな感情と境遇に同調しすぎて涙が。

「皆が恵まれた環境じゃない、わかってはいるけど、やっぱり納得出来ない」
自分で自分の首を絞めて、悪い方に考えて、絶望して。
「でもやっぱり変わりたくない、変わってほしくない…、これからもずっと一緒に…」
というところで終わり。
このモヤモヤした余韻こそが阿部共実さん節。そういう風に片付けてしまうのがもったいないですが。
一見いい感じの終わりですが、このままずっといられるかというと…。という、表の明るさと裏の暗さをこれだけわかりやすく表現できるのはさすがというところ。

「足りない」部分はあるけどそれを受け入れ変わっていく勇気。
誰しもが「足りない」と思うけどそれを受け入れず、誰かより「足りない」と思い、誰かより「足りない」ので、同じくらい「足りない」誰かと一緒にいたい、居続けたい。
そう思うのはしょうがない部分はありますが、やはり何事にも勇気だったりやる気だったりが必要。それを出すことがどれだけ大変か、という。


本当に、的確に、鋭く尖ったものでザクザクと心を刺してきますが、何度も読みたくなるのが阿部共実さんの漫画。台詞。
出来ることなら、どちらももっと読みたかった作品。
しかし、新作も読みたいという矛盾。

とりあえず次はWebで連載されている『死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々 | Champion タップ!』なのでしょうか。
読んではいますが、もっと読みたい。



そんなところで、これらを読んで、自分の中の色んなモノが燃え上がって、アツくなり記事を書きました。
自分はあまり裏を読むことが出来ないので、表面しかすくってないとは思いますがとりあえず、大体は書きたいこと書いた気がします。
少しスッキリするとともに、なんでこんなのが描けるんじゃー、思いつくんじゃーという思いも馳せたところで終わります。
ありがとうございました。